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白髪山

まちづくり推進課 交流推進班 : 2017/08/22

(1)「白髪山」の由来


本山町の北部に位置する標高1,470mの白髪山。石鎚山系に属するこの山の名は、「白く光る岩」に由来しています。以前は白い岩を意味する白峨の文字を使っていましたが、今の奥白髪山に猿田彦神(白髪の老翁)を白峨の山霊として奉ってから「白峨」を「白髪」に改めたといわれています。

白骨林2 白骨林 山頂からの眺め

(2)林業遺産に認定されました


白髪山は古くから天然ヒノキの美林として知られ、208.54ha(標高680m〜1,470m)が大正4年に学術参考保護林、平成2年に林木遺伝源保存林に設定され、県立自然公園にも含まれています。
平成29年5月23日には、日本森林学会により2016年度「林業遺産」にも認定されました。国の保護林制度が始まった1915(大正4)年から現在に至るまで100年余り、保護林の面積は変わることなく守られてきました。

(3)白髪山の特異な地質


四国石鎚山系の東部を東西に走る三波川地質帯のほぼ中央部に位置しています。当山の地質はマントル上部で形成されたカンラン岩が水分を含んで蛇紋岩となり、地下20kmの三波川変成帯中を貫入して浮上したことで独特の孤立峰を形成したといわれています。山全体が蛇紋岩で形成された白髪山は、風穴が至るところに観察できます。また、鉱物を含んでいるため方位磁石が正確に作動しない場合があります。

(4)白髪山のヒノキの歴史


かつてこの一帯は莫大な量の天然ヒノキがあり、しかも優れた材質を持っていたことから、長宗我部氏の時代に豊臣大阪城に銘木として献上された記録が残っています。関ヶ原の戦いの功績により土佐一国を拝領した山内一豊公でしたが、土佐転封時からの借財の累積、さらに相次ぐ幕命による土木工事課役金などにより、上方の豪商から借金してやりくりをしなければなりませんでした。
元和7年(1621年)にはその借銀が二千貫に達しており、江戸や上方では「土佐の守殿借銀今の分にては御身上相果つるべく候」(土佐藩は莫大な借金をかかえており、このままでは財政破綻してしまうだろう)と噂されるほど財政は逼迫していました。
二代目当主忠義は藩財政を立て直すため白髪山方面(現在の嶺北地域)の木材伐出に乗り出します。吉野川を流送し、阿波藩撫養(むや)(現在の鳴門市撫養町)より、大阪へ運漕して販売しました。その結果、借銀をわずか3年で払い終え、更に余銀を御蔵へ収めるほどの財貨を得ることができました。木材生産事業を軌道に乗せた土佐藩は幕府の許可を得て、大阪に日本初の木材市場を開設し販売しました。
市場を開設した大阪市営地下鉄西長堀駅周辺には木材市発祥の地を明示した記念碑のほか、現在でも白髪町、白髪橋交差点などの地名が残っています。

白髪橋2 白髪橋1

(5)高知県天然記念物に指定された「八反奈路」


白髪山の南西面(標高1,050m〜1,250m)には、八反奈路と呼ばれる地形的に特異な場所があり、きわめて特徴的で他に類をみない根下がりヒノキ群が生育しています。この八反奈路のヒノキは、江戸時代に伐採されず残った区域であると推察されます。
平成28年5月17日に高知県の天然記念物に指定されました。

根下がりヒノキ3 根下がりヒノキ2 根下がりヒノキ

(6)根下がりヒノキとは


 腐朽した株に落下した種子が発芽した後、先代株が朽ちることに並行し、根は地中に下がっていく事で、空洞ができたと考えられています。これを地元では「根下がりヒノキ」と呼んでいます。

(7)白髪山に咲く花々

アケボノツツジ シャクナゲ ミツバツツジ 五葉ツツジ


※左から、アケボノツツジ、シャクナゲ、ミツバツツジ、五葉ツツジ
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